| 中弥の辛子明太子の名前にもなっている、九州を代表する祭「博多どんたく」をご紹介します |
| ところで、中弥の辛子明太子の名前にもなっている「博多どんたく」とは一体何のことでしょうか? 「どんたく」という言葉だけでもご存じの方は多いかも知れませんね。「博多どんたく」は、わが国の古い民俗行事、つまり祭のことです。およそ820年もの歴史があります。その元は「博多松ばやし」といわれるもので、正月に町衆・村人たちが集団で美しく装って、支配者や年行司(目上の人)の屋敷に入り無礼講で賑やかに歌ったり踊ったりする祝賀行事でした。 | ![]() |
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始まりは1179年(治承3年)、時の支配者だった平重盛の善政を偲んだ行事で、 「博多にて正月15日松囃子と云う事を取行う」と、貝原益軒の筑前国風土記に書かれています。また古い文献によれば、400年前に関ヶ原の戦いで有名な筑前の領主小早川秀秋の居城へ博多の町人が松囃子を仕立て年賀のお祝いに行ったと記されています。その後明治時代まで黒田藩の城下町「福岡」と博多町人の町「博多」の交流の場として続いてきましたが、明治5年、新政府の県知事が金銭浪費を理由に「松ばやし」や「山笠」を禁止してしまいました。 しかしその後、明治12年に福岡区と博多区の合併祝いに復活しました。もっとも「松ばやし」と呼ぶ訳にはいかなかったので、代わりに当時のハイカラな流行語「ゾンターク(西洋休日)」から「どんたく」という名前で呼びました。これが博多どんたくの語源です。 |
| どんたくで踊り歩く姿や型は「通
りもん」と呼ばれ、通りもんの盛り上げるどんたくはますます活気あふれる祭になっていきました。 |
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しかし、昭和に入り太平洋戦争と共に祭は中止されてしまいました。そして、福岡は焼け野原と化して終戦を迎えます。そこで、打ちひしがれた博多の街を元気づけようと、集まった人々があり合わせの紙に色を塗った肩衣や借りものの三味、太鼓を集め、瓦礫の道で再び「通 りもん」を行い、町をおこしたのです。この時の祝って歩いた「通りもん」の三味や太鼓の響きが、大きな復興への勇気を与えました。 以来、年に一度の無礼講の行事として年々盛んとなり、多くの人出を誇る祭りとして広く人々に親しまれて今日に至ります。 |
| また、「どんたく」は、旅行者の飛び入りも大歓迎という、見物するより参加する祭りといわれています。商店街や子供会、町内会などのグループ「どんたく隊」は現在400を越え、出場者2万8千人余、見物客は延200万人、まさに日本一の祭りです。 | ![]() |
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